号泣

 最近、あまり泣いていなかったから、泣くという感覚がどんなものだったか、またどんなもので泣くのだったか、泣くことにまつわるあらゆる事象を、すっかり忘れていた。
 今日、ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンというアニメを見た。号泣した。泣くというのがどういうことか思い出した。耳の下の辺りがじんじんしびれて痛くなる。顎の関節の辺りだ。それから鈍い頭痛もある。呼吸困難にもなるけれど、これは我慢するとより辛くなる。我慢せず精一杯泣く方が呼吸はずっと楽だ。これは飲み過ぎた時の吐き気とよく似ている。この点について、ずっと誤解していたことがあった。感動した時、酸欠のような、中途半端な過呼吸のような状態になることがあるけれど、あれはたぶん無意識に泣くのを我慢していた状態、感情を必死で殺していた状態だと思う。感動した時の眩暈、吐き気、酸欠のような症状については我慢せず泣いたり出来ることなら叫んだりドアの外に走り出したりした方が、たぶん楽なんだと分かった。本来そうするべきなのだ。理性が感動症状を悪化させる。
 涙と鼻水をティッシュで拭きながら、泣いている自分があまりにも珍しくてスマホで自撮りした。おかしな顔だったので友人に送っておいた。おろかな感情に支配なんかされたくない。ふとそう思った。送る時には強めの精神的負荷を感じた。他者から号泣した顔の写真なんか送られてきたことはない。それはなぜだろうって考えたりした。号泣した顔、見たいと思う。