ねむれないひと

 ぼくは不眠症である。
 ということを、ぼくは結構カジュアルに人に言う。
 でも睡眠薬を飲んでいます、と言ったことはほとんどない。
 心配されるのが面倒なので言わないわけである。
 ぼくにとってはあまりセンシティブな内容でもない。
 ブログでは書かないようにしていたけれど、隠している意味がわからなくなってきたので、書いてみようと思う。
 睡眠薬は、飲むと眠くなる。
 
 うまれつき眠れなかった。
 保育園のお昼寝の時間はすべて寝たふりで過ごした。苦痛だった。
 小学生の頃、親が隣で眠っていて、ぼくはひとりで朝まで起きていた。苦痛だった。
 中学校の修学旅行は連日、眠れないまま過ごした。苦痛だった。
 友人の家に泊まった時、眠れないまま過ごした。苦痛だった。
 というふうな不眠が続くと「眠る」という行為自体に苦痛が刷り込まれる。
 布団に入った瞬間にもう苦痛になる。動悸が激しくなり、嫌な空想が止まらなくなり、明日もすることがあるのに、今何時だろう、まだ眠くならないのか、明日もずっと眠いまま過ごすのか、と延々考え続けて疲れ果て最悪な気分と最悪な体調のまま朝を迎える。
 時々、どこでもすぐ眠れるという人がいるけれど、なんて運がいい人なんだろうって思う。
 寝ようと思って眠れるだなんて、最高ではないか。
 ぼくは20代の後半になってから勇気を出して、はじめて睡眠導入剤を処方してもらって、ようやく寝たいときに眠れるようになった。
 寝たい時に眠れる、と思えることが睡眠導入剤の最も優れた効果だと思う。
 薬が手元にあると安心するので、飲まなくても眠れるようになる。
 飲むタイミングや量によって眠気が翌日まで続き、頭に力が入らなくなって困るので、飲まずに眠れるのが一番いい。
 今は、全然眠れそうにないなあという時に、一錠をナイフで半分に割って飲む。
 いろいろと試した末に、半錠でも大丈夫だし、4分の1錠でも大丈夫だということが分かったからである。要するにほとんど気休めなんだけれど、気休めというのは睡眠に対して絶大な効果を発揮するものなのだ。うまれつき眠れなかったぼくが人生をかけて学んだことだ。
 半年前にもらった薬がまだたくさん残っている。
 使わなくても眠れるだけで、ぼくはうれしい。
 
 ぼくは不眠だけれど、でも、ぼくだけがすごく不幸なわけではないんだよなあとたまに考える。
 たとえばぼくは偏頭痛や花粉症ではないから、そういう体質の苦痛を知らない。きっと彼らも「偏頭痛が無いなんて人生イージーモードだな」って思っているんだろうなあって、思うのだ。
 言わないだけで、みんな結構きついんだよなって思う。
 だから、ぼくは他人の言葉を素直に受け止めようとこころがけている。
「めんどくさい」という言葉でさえ、他人には言いづらい何かが潜んでいるなんてことは、ぼくの人生ではよくあることでした。

 

 

※書き終わってから気づいたのですが、当たり前のことなんですけども、お医者さんに相談せずに勝手に薬の量を変えてはいけません。自分の薬の離脱症状について調べてみましょう。不眠の人は、お医者さんに行きましょう。