故郷

 今週末、田舎に帰ることにした。一泊二日の短い帰郷になる。
 故郷には今、雪が降っているだろう。故郷には雪の種類が七つもある。名前をたくさんつけなくちゃいけないくらい、身近な存在だったんだろう。異様に冬が長い。空はいつも灰色の雲に覆われている。町に人の姿は無く、雪に埋もれた街路はいつも石油の燃えた匂いが立ち込めている。それからもちろん雪のにおい。あれは具体的にはなんのにおいなんだろう。冷凍庫の霜も雪みたいなにおいがする。かすかな気配のような、幽霊みたいなにおい。家々の屋根から伸びる巨大な氷柱が地面と繋がって透き通る岩のようになっている。自動車が踏み固めた路面は鏡のように滑らかなアイスバーンになる。どこもかしこもひどく静かだ。雪は音を吸い込む。だから雪が降った朝は、固く締まった空気と、耳が詰まったような無音のせいで、部屋が井戸の底にあるみたいだった。しずかに朽ちるのを待ち続けている町。自分が死んでいることに気がつかない町。ぼくの生まれ故郷。
 治安の悪ささえもない。虚無である。外黒さんってどこの生まれですか? 今度、外黒さんの生まれた町に旅行に行こうと思うんですけど、どこに行ったらいいと思います? と聞かれ、
「特にないです」と答えるのは、ぼくが卑屈になっているからではなく、故郷が嫌いだからでもなく、ネガティブだからでもなく、真実だからです。何もないということを、楽しめる人間でなければ、差し出されたものではなく、無から生み出せる人間でなければ、あの町の虚無にやられてしまうだけのことです。観光資源など、ないようなものです。というよりも、あの町を観光をしようという考えが、ぼくは間違っていると思うわけです。「誰かが用意した観光地」などというものは、あの町の本質ではありません。無を得ようと思った時、最適な場所なんです。穏やかでさえないんです。荒れ果ててさえいないんです。ただ、刻々と過ぎ去っていくんです。そういう場所であるということを、ぼくは誰にも説明できません。今も雪が降っていることでしょう。何もかもを覆い隠して、あの町の一体どこに人間がいるのだろうって、ぼくは真っ暗な雪原を歩き回っていました。