おにぎりこわい

 おにぎりがだんだん怖くなってきた。
 
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 鞄から平べったいおにぎりが出てきた。
 手裏剣みたいになっている。しかも固い。
 朝、時間がなくて食べられなかったやつが、変わり果てた姿で現れた形である。
 お前、つぶれているね。おにぎりは、つぶれている。
 これはつぶれたおにぎりである。それはわかっている。
 しかし、つぶれたおにぎりは、おにぎりなのだろうか?
 それとも非おにぎりなのだろうか。
 ぼくにはそれがわからない。
 
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 たとえば、お母さんが「おにぎり作ったよ」と言って、つぶれた平べったいおにぎりを出してきたら、めちゃくちゃ怖い。
「えっ……?」とぼくは言う。お母さんはぺしゃんこのおにぎりを皿に敷き詰め「食べなさい」と言う。めちゃくちゃ怖い。
 なぜ怖いのか。母のおにぎり像とぼくのおにぎり像に激しい乖離があるからである。
 
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 おにぎりといえば丸か三角の形をしている。時々、たわら型のもあるが、大抵の形は決まっている。つぶれて平べったくなったおにぎりというものはない。なぜないのかはわからない。きっとつぶれたおにぎりはどこか不気味に見えるからだろうと思う。平べったいおにぎりは、食べ物らしく見えない。踏み潰された物体を想起させるからだろうか、なんだかあまり食べたいとも思われない。
 
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 食べたいと思わなくても、何も考えずに食べていた。
 平べったいおにぎりは、当たり前におにぎりの味がした。
 つぶれて平らになったおにぎりは、その段階で非おにぎりだと思われるのだが(お母さんの平らなおにぎりを根拠として)、きちんと味はおにぎりである。
 当たり前だけど。
 
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 極端な話をすると、米とノリと具を、なんらかの形でまとめて食べると、おにぎりの味になるんだろうと思う。しかしその時、おにぎりの形以外でそれを摂取したなら、やはりそれはおにぎりではない。
 具を米で包み米をノリで包み握らなければおにぎりではない。そしておにぎりの形にしてもつぶれたらそれはおにぎりではない。
 おにぎりというありふれた存在は、米と具とノリがギリギリのバランスで結びついた時に現れる奇跡のようなものだ。
 なんと儚い存在であることか。
 
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 ということを考えていたら「おにぎりの境界線」が気になってきた。
 三角のおにぎりが潰れる時、どこまでの薄さならおにぎりと感じられるのだろう?
 そしてどこまでの薄さから非おにぎりと感じるようになるのだろう?
 境界線の向こう側に行ってしまったおにぎりを、ぼくはなんと呼べばいいのだろう。
 
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 まあ、食べたらおにぎりなんだけどさ。