灰色の雲溜まり - 配達員のしくじりと玄関のドアの向こう

 人形が届いた。2023年の暮れにAmazonで注文したもので、到着まで一ヵ月ほど要した。その間に人形のことは忘れていた。部屋のチャイムがキーンと鳴り、胡乱なものが平和を乱す、と私は布団の中で唱えた。それからしばらく黙々と記憶を手繰り寄せ過ぎた歳月を再生した挙句、ようやく人形のことを思い出し、何故か分厚いパジャマを脱ぎ、パジャマの下に着ていた半袖のパジャマで玄関のドアを開けた。配達員は細長いダンボールを抱えており私の名を呼んだ。私はドアノブを握り半分ほど開いた隙間から外世界の灰色の雲溜まりを眺めていたが、配達員が何度も何度もリモコン様の機械の操作にしくじり「あれ……すみません……すみません……」と呟くのでいたたまれない気持ちになり、いくらでも待てるのでまったく気にしないでください、と心の中で応答している。私の部屋にはじっと動かないフタホシテントウや、萎れたり復活を繰り返すスパティフィラムがいたり、アダンソンハエトリがいたりするのだから、人間が機械の操作に手こずる程度のハプニングには最早、どんな感想さえ抱かぬ懐の広さをすでに獲得しており、そうでもなければ私はフタホシテントウを殺虫し、スパティフィラムをむしり抜き除草し、アダンソンハエトリはことごとくティッシュでつまみひねり殺していたはずだ。そうはなっていなかったのはひとえに私という人間の優しさおよび根気強さの証左ではないですか、と見知らぬ配達員に同意を求めたくなる衝動をひそかに抑え込んでいた。なにしろそれを聞いたら私は狂人だった。あるいは私はすでに狂人なのかもしれぬが、なにしろ常識を重んじる狂人であった。人形の函を受け取り、部屋に戻った私は再び分厚いパジャマをパジャし、カッター・ナイフでセロハンテープを丁寧に切り裂き、箱in箱を取り出し再び開けてみるとそこにはバレリーナのように片手を上げ、首・腰・足を針金で縛られた人形が入っていた。なんとなくその姿に中国という国の価値観を見たような気になって、うつくしい人形が針金でがんじがらめに縛りあげられているギャップに何か不吉なものを感じ、急いで解放しなければならないと思い鋏で針金を断ち、そうして片手に持ち上げてみると人形は思ったよりも大きく、そしてかわいらしかった。私はかわいらしい人形を数秒見つめたあと、おそろしくなってベッドの上にそっと寝かせ、そしてしばらく人形から目を逸らしていた。私はお人形遊びというのをほとんどやったことがなかった。人間の赤ん坊に対しても恐怖感を抱く人間は少なくないと思われるが、私は猫も怖いし、人形もやはりおそろしいものであるということがわかってきた。うつくしいものや、よわいものというものは、おそろしい。すぐにこわれてしまうから。しばらく人見知りをしたのち、人形に慣れてきた私はスピーカーの上に彼女を座らせた。足を揃えて両手を広げている座っている人形を眺めているうちに髪の乱れが気になって仕方なくなり、まゆげ切り用の小さなコームを洗って人形の櫛として髪を梳いた。複雑だった。長い髪というのは思い通りにならないものだと知った。どうにかまっすぐにまとめようとしてもふわふわした毛が漂っている。いいすか? と私は思った。なにがいいすか? なのか自分でもよくわからないままに遠くから眺めると、近くで見た時とは全然違う表情に見えた。笑っているはずなのにまったくの無表情に見えた。角度や照明の位置で人形の顔はまったく違うものに見え、そして私の顔もおそらくはそのように、私の感情とは関係なく、何か意図せぬ顔として他人は認識するのだろう。人形は動きそうな感じがした。しかし絶対に動かないということも私は知っていた。私は人形には名前をつけるべきなのかもしれないと感じた。しかし名前をつけることを考えると強い吐き気がしたので、というのも、茶色のトイプードルを見ると「あっ、ココアだ」と思ってしまうし、柴犬はタロウかポチだ。しかしそれでも名前をつけるとするなら“アナデメンドーサにするわ。”
 
 ネットサーフしているとヤフー基金のフィッシングサイトが横行していることを知り、なんだか不安になってきた。当事者になるということの負担。自分が募金したサイトが本当に正しくヤフー基金だったのか調べつつベッドの上を左右左右と転がりながらたったの1000円でこれほど悔しい気持ちになるものかと世を憂うこと数分、やっと溜飲が下がるものの、詐欺を働く輩に対しての小さな炎が揺らめく。友人たちも最近まったく別のECサイトで少額の詐欺に遭ったという話を聞かされたことがあったので油断ならない。彼らはいずれも高度なITリテラシーを持ち合わせていたが、それでもひっかけられてしまったのだから劣性の私はいずれ邪なる者にいっぱい食わされることになるのだろうと思いつつ注意深く情報を扱うことをここに誓います。
 
 布団というか、床にマットレスを二段敷いてその上に寝ているのだけれど、マットレスの腰の部分がぬにゃぬにゃになってきて寝ていると腰がしくしく痛むようになってきたので、というのもすでに2年オーバーのマットレスであるから寿命が近いのかもしれぬが、とりあえず出来ることはしようと思い足の部分のマットレスと中央部分のマットレスを取り代えるという作業をしたのだが、マットレスカバーからマットレスを抜くとカバーがしなしなになるので、マットレスを入れるのが非常にめんどくさく手間で「30分、わかりますか。30分でこの作業は終わります」と自分に言い聞かせながらなんとか足と腰の交換を終えた。その間、マットレスの下の床や二段目のマットレスもコロコロで綺麗にしたりなどしてとても有意義なことであった。窓を開けおそらく煙っているであろう空気を入れ替えながらNEOマットレスに横たわると、腰の部分が固くしっかりと体重を支えており、なかなか気骨のある形にまとまっていた。友よ、おまえはまだやれる。
 
 上記の他、今日は一日中本を読みながら寝ていた。私はこの状態を実に様々な言葉で表現した来たが、お気に入りは「絶対安静」だった。最近は「セルフ謹慎処分」という表現・概念が気に入っている。私はおそらく自分で自分を謹慎処分のような状態にしたい・しているのだと考えた次第。あまりいい言葉ではないかもしれないけれど、よく考えてみると「謹慎」自体はむしろどんな人間にも必要なのではないかしら。それが他者に与えられれば謹慎処分となり刑罰であるが、自らに課す謹慎はおそらく人間を高めるのではないかしら。そんなことを考えながら、いつもと変わらぬマッチポンプな幸福を一生懸命、生きている。