荒野の風が吹く静かなフロア

 書くことがない、と思う。たまに思う。
 書くことがない、という認知は頭の中の大地に咲いた大きな花だ。
 真っ赤なひまわりみたいな花だ。目立つ。そればかり目につく。
 でもその花の茎をペンチで歯を抜くみたいに引っ張ると、隠された、まだ言語化されていない思考が露わになる。
 書きたいことがない、だった。
 書きたいことがない、は、書くことがない、より致命的だった。
 根が腐っているのですので、その花は枯れるのを待つばかりだ。
 書きたいことがない、が、掘り出されたら潔く諦める。
 書きたいことはいずれ現れる。
 書きたいこと、なんてものは、雑草のごとく生えてくる。
 だから何も心配することはない。
 書きたいことがない、と、私は今、事実思っている。
 そして書くことがない、ということや、書きたいことがない、ということについて、今、書いている。
 ということはつまり、根が腐っていても、下品な、枯れるばかりの花しかなくとも、少なくとも書くことは可能です。
 ということを私はいつも考えている。
 日本語が話せません、という言葉を日本語で話しているみたいに、書くことがない、ということでさえ書くことであったのだ、というパラドックスはしかし、私をどこへも導かない。
 導かないことこそが、その無意味さこそが、おそらく私のもっともやりたいことなので、その点は一向に構わない。
 私は目的地など決めずに、旅に出ることが可能です。
 
 近所のラーメン屋には、この町に引っ越してきてから、だから2年以上通っていたのだけれど、ここのところよくスーパーマーケットで食料を買い、そのラーメン屋には行くことがほとんどなくなってしまったのだけれど、それでも古巣が気になるというのか、通勤の際に店の前を通りがかる度に「まだやっているかしら」と、ガラス戸から中をちらと覗いてみるなどして、空っぽのカウンターの奥の、厨房の影のいつもの椅子に、白髪の店主がぼんやりと座り天井の、油にくもったテレビを眺めている様を見ると、とても安心していた。
 もう何ヶ月ほど、その店に出向いていなかったのか詳細を調べたわけではないにせよ、久しぶりの感覚でその店を訪問したのが2024年明けてすぐのことで、開店時間からわずか10分の、おそらく一番乗りだった。古いガラス戸を横にがらがらと開き、破れて汚れた暖簾をくぐると、村上春樹似の店主が「いらっしゃい」と、低いしわがれ声を発し、私たちは目を合わせる。
 私はいつもの席に座り、店主が水を持ってきて私の前に置く、そのタイミングで「チャーシュー麺、ください」と言った。店主は「チャーシュー麺、いらっしゃいませ」と言う。私は、このぶっきらぼうで不器用なおじいちゃん店主が、この店のラーメンよりも好きだ。おそらく店主は「チャーシュー麺、一丁」とかそういうことを言いたかったのだと思う。しかし何故かチャーシュー麺を招いてしまい、いらっしゃいませと言ってしまっている。すごく好きだ。
 ラーメンを待つ間、いつも店主が眺めている油色のテレビを眺めている。その時の、妙にアジア的な雰囲気の、食べ物の匂いと、鍋とお玉の奏でる野蛮な響きと、テレビの雑多な笑い声と、年季のついたテーブルと赤い丸椅子と、壁一面に貼られたメニューの札の幸福を、私は愛す。そのあたたかい空白の時間は私の重力変動地帯だ。
チャーシュー麺」と店主は言う。「どうも」と私は言う。ただそれだけのやりとりの中に、私はすべての言葉と時間の流れを読み取っている。「最近見なかったな」と店主が言う。「忙しくてね」と私は言う。「他にも美味しい店は無数にあったんだ、東京には、たくさんの店がある」と私は言う。「そうだろうな」と店主は言う。「俺だってうちが一番だなんて思ってない」と店主は言う。「でも私はこの店に来た」と私は言う。「ああ、あんたはこの店に来た」と店主は言う。「なぜここに私がいるか、分かっているかい」と私は言う。「さてね」と店主は言う。「俺はラーメン屋だ」と店主は言う。「あんたのカウンセラーじゃない」
 私はラーメンのスープを飲む。ああ、おいしくない。すごく、化学調味料の味がする。麺をすする。ああ、おいしくない。なんか、いつもどおりぬめぬめしてる麺だ。私はこの店はだれにもお勧めできないし、しない。しかし、私はまた何度でもこの店を訪れるだろう。
 
 今日は2024年の初出勤の日で、朝から目が覚めず、救急車の音も、近所の子供の意味不明な歓声も、天井のフタホシテントウも、すべてが奇妙に遠く離れていた。体中に密度の高い粒子が詰まっているようで、家を出ても、電車に乗っても、やる気が湧かないがために「ぜんぜんやる気が出ないです」とOさんに告げると、Oさんは落ち武者のような長い髪の隙間から私をまっすぐに見つめながら「ハハッ」と笑う。「いいんじゃないですか、どうせ仕事ないし」とOさんは言った。たしかに、本日は特に仕事がない。定常業務は年始のために取りやめになっているし、実働20分程度の業務量であることは以前から承知していた。Oさんは熱心にノートPCでネットサーフィンをしており、年上のIさんはデスクで船を漕いでおり、Yさんだけはいつもかたかたとキーボードで何かを入力していたが、どこからどうみても我々にすべきことはただ一つで、この場所にいること。ただそれだけだった。
 IさんとYさんは早々に仕事を終え退社した。取り残されたOさんと私は深い沈黙を共有して過ごした。機械の送風音だけがフロアを満たしており、荒野に似ていた。私はエクセルを開いたり閉じたりした。「こんなに何もないのに、それでもお金がもらえるのって……」とOさんが呟く。「ずっとこのままだったらいいのにね」と私は返事をする。Oさんは肩で笑う。
「外黒さん、すごくどうでもいいことなんですけど、話していいですか」とOさんが言う。
「どうぞ」と私は言う。
「もし私が外黒さんに6万円あげます、って言ったら、何に使いますか」
 6万円? 私は考え込んだ。
「そんなに考えなくて大丈夫ですよ、あぶく銭というか、6万円浮いちゃって使い切りたいってだけの話で」とOさんは言う。
「じゃあ、壺ですね」と私は言う。
「壺!?」とOさんは言う。
 私は壺を検索してOさんに見せる。骨董は見て面白く、しかも物の価値がいずれ上がるかもしれないので投資的で面白いのではないか、という意図があった。
 Oさんはにこにこしながら壺を眺め、
「switchを買おうかと思ってて」と言った。「どんなゲームがあるか、知ってますか」
 ポケモンゼルダマリオカートスマブラ、スプラ、色々あるけれど、
「でも私はゲーム、全然やんないので、買ってもやらないんじゃないかって気がするんですよね。弟とかに取られておしまいなんじゃないかって」
「それなら、他のものがいいかもしれないですね」と私は言う。
「6万円ですよ」
「6万円かあ」と私は言う。
「引っ越しを考えているので、家具とかはダメです」
「じゃあ、そうだなあ」と私は言う。
 そこに荒野の風が吹く。
 ひどく静かなフロアの中に、たよりない話題がふわふわと浮かび、消える。