おばさんに対する無関心な信用

 レンジでチンできるスープを探していて、クレアおばさんの具だくさんシリーズにたどり着いた。
 届いた。チンして食べた。おいしかった。
 歯磨きをしている時、不意に「クレアおばさんって誰だろう」と思った。
 たしかクレアおばさんは、他にも何か作っていなかっただろうか。それはクッキーではなかったか。
 違う。
 クッキーは、ステラおばさんだ。
 ぞっとした。
 私は誰の何を食べさせられたのだ。
 親戚のおばさんだと思い笑顔で会話していた、あのクレアと名乗る中年女性のことを、私は何も知らない。
 
 対人恐怖症であるため、ユニクロで買ったズボンを試着していない。
 裾が余っている。
 Amazonで裁縫セットを買った。自分で直そうと考えた。
 家庭科の成績はたしか2だった。細かい作業は苦手だった。ミシンの足跡は酔っぱらいのようだった記憶が蘇る。
 しかし今、私の作品を笑う者はいない。私の作品を評価する者はいない。どんな風に、してもいい。
 裾の長さを安全ピンで調整し、万能ハサミでぶった斬り、小さくて細い針と糸を使い、ネットで調べた方法で、ちくちく縫っていく。
 一度に5mmだけ作業は進んだ。1度に5mmだけ完成に近づくことが出来る。作業を省略することはできない。どう頑張っても5mmしか進まない。この5mmが積み重なって、いずれズボンになる。
 昨年から暇を見て少しずつちくちくしてきた裾上げが、今日完成した。
 上手ではないけれど、噴飯物の不器用というほどでもなかった。
 誇らしい気持ちになった。
 ねえねえ、これ見て、このズボンね、自分で裾上げしたんだよ。
 わあ、すごいね! そんな太い指で、案外器用なんだね。
 そんな風に褒められたい。
 服というものは、布と糸の集合体なんだという当然のことを、はっきりと理解した。
 あんなに不安定なものを、どうして今まで信頼してこられたのだろう。
 糸が一本切れただけで、ばらばらにほどけてしまうのに。
 何度洗ってもほどけないズボンは、実はとてもすごいのではないかと思う。
 
 イカゲームを全話見た。姉の勧めだった。また、一時期話題になったので気になってもいた。
 デスゲームの王道的なシナリオだった。過不足なくデスゲームしていた。
 私はデスゲームをしたくない。痛そうだし、すこし汚いものだものね。
 姉はどういうつもりで私にイカゲームを勧めてきたのだろう。
 おそらく、姉はデスゲームをするのだと思う。
 他者を橋から蹴り落とし、罠にはめ、顔を血に染めて高笑いするのだろう。
 私は姉が優勝するところを想像した。
 何人も人を殺した彼女を、今までと同じように扱うことができるだろうか。
 できる。
 何度もシミュレーションしたから、できると思う。
 しかし、想像しすぎたためだろう、私が思い描く姉は、つねに血のしたたる棍棒を持っている状態になってしまった。
 今度はうつくしい作品をお勧めしてほしい。