冷気、そば、そしてロイヤルミルクティー

 体の表面がしなやかさを失い張りつめ筋肉がこわばって動作不良を起こしている、さむい。
 自然と肩に力が入る。強い風のせいで耳が切れたのではないかと思う。ポケットに手を突っ込む。
 世界で一番風の強い通路を通って会社の裏の喫煙所に行くと風にあおられた金属質の看板が金網に打ち付けられる荒涼とした音と風が質量を伴って流れる時の重い音が狭い広場に充満していた。
 かじかんだ指先でポケットから煙草の箱と電子梵具を取り出して震える。息が白い。
 コットンの上着を貫通する冷気が肌を直接突き刺す。つま先はもうとっくに壊死している。
 肩をすくめた二人の男が物も言わずに灰皿の横に立ち真っ黒で長い影になってぴたりと動きを止めた。鳥の声さえ無い。空は意味不明に晴れ渡っていた。何かが破裂するような大きな音がした。男たちは振り向きもしなかった。
 
 あの店はね、おいしくないんですよ。と嬉しそうにAさんが教えてくれた。
 会社の近所のおそば屋さん。チェーン店の外装センス。入ってみるとジャズがかかっていた。
 今年はカレー年になる予定だ。昨年はラーメン年だった。
 そば&カレーセットの食券を解放した。どっちも炭水化物じゃないか? と思った。
 そば&かつ丼セット……そば&鉄火丼セット……どちらも炭水化物だ……。
 何か公序良俗に反する事件を目の当たりにしたような気がした。しかしこのセットはアンティークな欲望そのものだ。いつか断罪されるその日までは脱法飯だ。
 セットが出てきた。
 すごーくうすいおつゆにもうしわけ程度のおねぎ。それからぱらぱらとほそいおそば。
 おみそしる用のちいちゃなおわんに雑に盛られたおこめ。カレーには、おにくがすこしだけ……。
 私は目の前の盆をすこし眺めまるで昔話みたいだなあとなんか思った。
 うまくもまずくもなかった。
 
 孤独の喫茶店がとても苦手なので克服しようとしてきた。
 駅中のドトールに入り、ロイヤルミルクティーを注文した。
 どしゃしゃしゃしゃぶしゅううううう! という凄まじい音を立ててロイヤルミルクティーが機械から出てくる。たぶん、すごい圧力がかかるマシーンなのだろうけれど、音のイメージから最も遠い高貴な茶が出てくるのは、私はおもしろいことだと思う。
 電子煙草専用室に入り、自分の席に座る。
 隣の隣の席には常連のような人が座ってスマホをいじっていた。
 私も見よう見まねでスマホをいじった。喫茶店ではスマホをいじるものさ知ってるよ、という感じでスマホをいじった。
 それからロイヤルミルクティーを飲んだ。ドトールロイヤルミルクティーは、専用の甘い汁がついてくる。それを入れるとより美味となる。ドトールロイヤルミルクティーはホット部門で世界で一番おいしい飲み物だ。
 私はいたたまれない気持ちになった。1秒ごとに悲しい気持ちになってきた。まったくくつろげない。周りのお客たちも、特にくつろいでいるようには見えない……。このひとたちはここで何をしてるのか? いや人のことなど気にしている場合ではない。喫茶店に慣れることが重要だった。
 どんどんお腹が痛くなってきたので、ロイヤルミルクティーをさっさと飲み干して出た。
 とても重要なことを学んだ。
 私はおいしいロイヤルミルクティーを飲みたいけれど喫茶店の才能がまるで無い。
 今度からはテイクアウトにすればいいのだ。
 今日このことに気づくまでに、13年ほどかかった。