かじかんだ指で煙草を我慢しながら30分で書けること

 あと30分で私の電池は完全に切れ、血を吐いて心臓が止まり、死す。
 いつも私はそういうことを人に聞きたい。明日死ぬとしたらあなた、どうします。
 暴れますか? 暴れますよね。窓ガラスをバットで叩き割ってテレビを持って走り去る海外のニュースの映像みたいに、盗んだ一輪車で夜を駆けますよね? しません? そうですかざんねんです。え、いつも通りになさるおつもり。見上げたものだ。頭が上がりません。頭が上がらないので見上げることもできませんので靴を舐めます。それなら頭が上がらなくてもなんとかなりますので。私ですか、私は好きな人の所に向かいますね。好きなというのは、つまり恋。それは愛。そういう感じを抱いている人の所に行って「一緒におでんでもどうですか」と言いますね。素敵でしょう。おでんはおいしいものね。そういうのが一番いいと思いますね。あと25分で私は。
 どうして人間は本気で生きることが出来ないんでしょう。私はたくさんのひとびとを見てきましたが、どうにも本気で生きている人を見たことがなくて、犬とか猫とかチンパンとかの方が本気で生きているような気がするですよ。チンパンというのはジーのことです。上野動物園に行ったことがあるんですが、そこにゴリラの部屋があってね、まあゴリラがいるんです。でもそこにいるゴリラたちは本当に本気でものすごくだらけているんです。とんでもなく適当に休んでいるんです。両手を広げて寝ながら天井からぶらさがっているお遊び用のロープを片足でつかんでぶらぶらさせていたりして、そしてその顔は途方もなく虚空を見つめているんです。ショックでね。私はその時、本当にショックで、だってそこまで全身全霊全力全開でだらけている人間なんて見たことがないから。だからその時、ああ人間は絶対にゴリラに勝てない。だって休むことでさえこんなに下手な人間が、生き方という最も根源的な部分でゴリラに勝てるわけがない。偉大だ。ゴリラは偉大だ。いやゴリラだけではありますまい。すべての動物たちが既に人間をはるかに凌駕する存在なのだ。甘えたくなればかわいい顔で擦り寄り、飽きれば一瞬で素の顔に戻って去っていく猫のように、その一瞬一瞬を本当に嘘偽りなく生きているのは動物の方で、取り繕って愛想笑いふりまいてへらへらへこへこしてる人間なんて終わりだ! 終わり終わり! 人間は全滅しました。あと17分で私は死ぬですよ。
 死ぬってことを考えたことがありますか。私はあります。死のうとしたことは、しかしありませんので、死ぬってことを考えたことも無いのかもしれません。
 どうしても伝えたいことが書いておきたいことがあったような気がしていたのに、こういう時に限って何も思いつかないし、何もかも忘れて意味の分からないことを書いてしまうものだと思いませんか。鉄砲で敵を撃って対戦するゲームがあってさ、それを友人とやってたわけ。オンラインで、通話しながら。それで、友人が敵に撃たれた瞬間にね「うぽぽぽぽ、あぱ」って、言ったの。最期の言葉が「うぽぽぽぽ、あぱ」。たぶん、本当に死ぬ瞬間にも、そうなんだと私は思ったの。だって気の効いたセリフなんて出てくるわけがないんだよ。突然どこからか銃で撃たれてさ「くっ、俺はもうだめだ……お前は俺の代わりに……生き残れ……!」とか言えるわけがないんだよ。いきなり撃たれたら誰だって「うぽぽぽぽ、あぱ」なんだ。私はね、その時めちゃくちゃ笑ったんだけれど、同時に真理を得たと思った。ああ、この人は、私の友人は、きちんと本気だったんだって思った。ゴリラと同じくらい、本気でゲームをやってくれていたんだって思った。そういうの、わかりますか。嘘偽りのない言葉って、かっこ悪いかもしれないけれど、とっても真実だった。そういうことをね、私は書きたいの。
 いや良くないな、なぜ急に女の口調になったか。まったく意図せず流れでそのような感じになってしまったけれど、いやその前に私はあなたに向かって話しかけている風だけれど、あなたって誰だ。いやいやそれも違う。こういうセルフ突っ込みみたいな文章が一番お寒いしよ、素人っぽいじゃん。こういうセルフ突っ込みはもうやめにしませんか。私は一石を投じますよ? いいですか? 自己否定風の事を書くのはもう面倒くせえからやめようぜ。セルフ突っ込みは言わずもがなだし、卑屈も読み飽きたしよ、おいおい、一体何年ブログやってんだって今だって思うよ。一番いいのはシンプル、これだね。シンプル文体こそがやはり現代の至高。「現代」の。でもな、平明簡潔ばかりがもてはやされてばかりだとも思ってしまいます。それはもちろん私も好きなんですけど、大好きなんですけど。文章をこねくり回したり動詞に無理やり変化つけたりするのはやっぱり読んでてひいちゃうし、そういうのよりは「うぽぽぽぽ、あぱゴリラ」のシンプルさ、真実をばっさりと一言で体現するようなそういう言葉を常から読みたいと思うよ。そして実際読んできたと思うよ。けれどどうだろう、そればっかりでいいのか。みんながみんな平明簡潔シンプルミニマルでいいのか。志賀直哉ヘミングウェイも(どちらもシンプルなことばづかいで有名な作家です)ひとりいれば充分じゃないか。みんなそれを真似する必要、ないんじゃないか。たしかに文章を書き始めた頃の最初の拠り所としてそういう文章を模倣吸収してみるのは超重要だけれど最後には、最終的には自分だけの「うぽぽぽぽ、あぱゴリラ」をみつけるべきなんじゃないか。というか、それを見つけ出すための長い長い旅がこのブログってやつなんじゃないのかねえ。わしはずっとそう思っとったわい。でもどうだろう、どうだろうな。そこまで真剣に、本当に本気でブログを書いている人、文章を書いている人が、このブログって場所にいるんだろうか。わからねえよ。わからねえし、まあ、どうでもいいか。私は私の断末魔を叫ぶまでのことよ。