図書館

 休日には、健康のために一時間ほどぶらぶら歩くことにしています。
 特にどこへ行きたいわけでもないのですが、音楽やラジオを聴きながら何も考えずに歩くことは愉快です。
 さまざまなものが目に映ります。
 木から木へ飛び回る小鳥や、犬と歩くヒトや、川を泳ぐ堂々とした鯉や、ぴかぴかの車。
 たくさんの音が聞こえます。
 さえずりや、話し声や、枝葉の揺れる振動や、せせらぎや、一定のリズムでため息をつく排気音。
 時々、焼き鳥の香ばしい匂いがしたり。
 そういうものの全てによって無限の世界が形作られており、その中に、この小さな私がたしかに存在している。
 世界を感じてみると、固定観念のようなものが一時的に外れてしまうらしく、すこし身軽になるような気がします。
 それが、癒しというものかもしれません。
 
 なんとなく気が向いたので、近所の図書館へゆきました。
 ネットで調べてみますと、小さな図書館ですが、蔵書の質がよいということでした。
 この町に越して来たのが3年ほど前で、1度か2度、たずねた事があるのですが、もうどんな場所だったか忘れてしまっています。
 そう、ひとつだけ思い出しました。私はその図書館で、本の背表紙にくっついているハエトリグモをみつけたことがあります。それで、この町はハエトリグモが多い町だなあと思ったのです。あの時のクモは、元気にしているでしょうか。
 図書館に入ると、入口付近にソファーが4台ほど並んでいました。そのほか、新聞を読むための台や、円形の椅子もあります。ほとんどの座席にはおじいさんが座っており、手元の書物に首ったけです。少し奥には早速、本棚が並んでいます。本棚の横には受付カウンターがあり、眼鏡の中年男性がしずかに仕事をしておられました。
 私はずらりと並ぶ本を眺めながら歩くのが好きです。
 外出中に最も時間を費やしてきた行動のひとつでしょう。
 気になった本があれば、手に取ってみます。
 その瞬間から、もう読書は始まっています。手に持った時にはもう、自分にとってよき本となるか、あしき本となるか、分かるような気さえします。初対面の方に挨拶をする時、好むと好まざるとにかかわらず、第一印象が決まってしまうようなものでしょう。
 何冊か素敵な本をみつけると、うれしくて、その場でにんまり笑ってしまいそうになります。
 私の両親は読書家ではなかったのですが、私が本を読んでいると、すこしうれしそうでした。図書館や書店に行くと自然とうれしくなるのは、子供の私がまだ心に残っていて、彼がよろこんでいるのではないかと思うこともあります。
 私は本棚の隙間を回遊しておりましたが、ある時、本の森をぽんと抜け出してしまいました。
 すると眼前に、子供たちが現れました。
 無数の子供たち。
 机の上にノートや本を広げて、密集して熱を放ち、わき目もふらず石膏像のようになった、難しい顔をした子供たちが。
 私はその光景にショックを受けましたが、一体、何にショックを受けたのかよくわかりませんでした。
 今もわかりません。